いつかは訪れるもの
- 管理者
- 2020年5月21日
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思い出の日々
私はまだ50代ですので、現在の妻との死別に関しては正直あまり考えたことがありません。しかし、自分が早いか妻が早いかは分かりませんが、何れ死別という形での別れが待っていることでしょう。よくテレビとかで最愛のパートナーとの別れが訪れた後の心境を語っている方がいたりします。大体の人は最愛のパートナーとの思い出に囲まれて、そして最愛のパートナーがいない寂しさと戦っております。
人間年を取ると、昔の写真とかを引っ張り出して、写真を見ながら思い出にひたる時が多くなります。私の親もそうで、昔の写真を引っ張り出して来ては思い出にひたっています。年を取ると足腰も悪くなりなかなかお出かけも出来難くなってきて、また新しいことを始めるものなかなか出来難くなってきます。ですので、必然的に過去の楽しかった頃の思い出にひたるものだと思っています。

思い出を形で残しておこう
結婚相談所を営んでいてこんなことを書くのもどうかと思うのですが、最愛のパートナーと死別という形で別れてしまった場合は、新たなパートナーを作らずにずっと最愛のパートナーを思う日々を送っていくことは決して寂しいことではなく、とても素晴らしいことだと思います。
死別した方に結婚相談所に入るなと言っている訳ではありませんが、私はこういった最愛のパートナーとの思い出の日々で余生をまっとうするのはとてもいいことだと思います。そしてそうしている方は他人には分からない二人だけの楽しかった日々が沢山沢山あった筈です。こうした思い出にひたる為にも、思い出を写真とかの形で残していくことはとても重要だと思います。ちょっとしたプチ旅行でも日常生活でも構いません。そこで撮った写真はその時の楽しかった二人が映っていて、そしてその写真はあなたの脳裏に焼き付けられているものです。こうした写真が沢山あれば、一人で過す余生も決してつまらないものではないでしょう。なんか暗い重い話になってしまいますが、二人で生きた証をどんどん残してください。そしてその証はきっとあなたの大切な大切な宝物になっていく筈です。
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